論語塾での気づき
2018.07.24
ブログ
御堂筋税理士法人の才木です。
昨日は、月に一度の御堂筋論語塾。
気づきをシェアさせていただきます。
為政第二
●子曰わく、由よ、女(なんじ)に
これを知ることを誨(おし)えんか。
これを知るをこれを知ると為し、
知らざるを知らざると為せ。
是、知るなり。
孔子がおっしゃいました、
「仲由子路(ちゅうゆうしろ)よ、
お前に “知る” と言う事を教えましょう。
それは知っている事を知っていると認め、
知らない事を知らないと認めることです。
これこそ本当に “知る” と言う事です。」
ソクラテスの「無知の知」
彼は何も知らないのに何かを知っていると信じており、
これに反して私は何も知りはしないが、
知っているとも思っていない。
ということと同意。
●季康子(魯の大夫)問う、
民をして敬忠にして
以て勧ましむるには、これを如何。
子曰わく、これに臨むに
荘を以てすれば則ち敬す、
孝慈なれば、則ち忠あり。
善を挙げて不能を教うれば、
則ち勧(すす)む。
季康子が質問された。民を上に対して敬わしく忠実で、
かつ善を行うようにさせるには、どうしたらよいのか。
先生がおっしゃった。
荘重で威厳ある態度で民に接し、
民に対して慈愛深くすれば、
民は上に対して忠実となります。
また、よい行いをする者を採用し、
よい行いをしない者をよい行いをするように
教えれば、民は善を行うようになります。
トップが社員に対する振る舞いと全く同じ。
わたし自身、「荘」という言葉とは
程遠い振る舞いが多いと気づく。
大反省…。
里仁第四
●子の曰わく、
君子は義に喩(さと)り、
小人は利に喩る。
先生がおっしゃった。
君子は正しい道理に通じており、
小人は目先の利益にばかり通じている。
意思決定は、利益からスタートいれば小人レベル。
立派な君子は、義からスタートする。
ドキッ。
月一度の道徳的振り返りの時間。
とても、ありがたい時間です。